アカデミアの隅っこから

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アカデミアは女性のキャリア形成を支援できるか?

朝、はてブをチェックして面白そうな記事があれば、それを読んで感じたことを少し書き残すことにしている。なければそれ以降は夜まではてブは見ない。私の頭はSNSやニュースサイトに侵されやすいので、頭を守る必要がある。

 

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昨日の友人との電話から、ある程度融通のきく研究職さえ、育児しながら働き続けるのは難しいんじゃないかと感じた。妊娠出産時点で契約職員みたいな任期付きの立場だと、産休も育休も取りにくい。辞めるか、自分が休んでいる間に働いてくれる人を見つけてくるか、という選択肢を迫られる。休んでいる間はもちろん無給。何の保障もない立場なので、アカデミアで子育て世代の女性が働き続けることはとても厳しい。

男性にも非常勤職員やポスドクで食いつないでいる人は居る。女性特有の問題としては、出産や育児で任期無しの常勤の職員になるタイミングを逃すことが挙げられるだろう。ポストに応募してみないかという話が来ても、出産や産休時期と重なったりしてそれに乗れないことも多い。タイミングを逃した人は、ポスドクや、非常勤講師、テクニカルスタッフとして働き続けるケースが多く、やはりこれも賃金格差の元である。最近はこれを埋め合わせするように、「女性限定公募」が増えている。採用条件に書いていなくても、職場のバランスとしては女性がいいとか、そういう内々の事情もあり、復帰のチャンスは以前より増えているように思う。各大学や研究機関独自のものもあるし、公的な事業として、出産・育児で職歴が止まった人向けに研究員の募集もされている。

特別研究員-RPD 制度の概要 | 特別研究員|日本学術振興会

 

昔、恩師から「この職業はある程度時間の融通が利くので、女性のキャリア形成には向いている」と言われたが、今はそんなこともない。私は女性のキャリアを考えるなら、なおさら妊娠出産前に任期なし職に就けるようにした方がいいと思う。自分はたまたまタイミングよく任期無しの職に就けた。こういう制度を整えてもらうのは難しいだろうから、今は個人の努力で為すしかないので、備忘録として残しておく。

 

育児、仕事、焦り

いつの時代も働くお母さんは心休まる時間がなくて焦っているなあと思った。

10年来の友人、大学院生の時の同級生と電話で話した。育児を優先するため大学の教務から離れようと思う、という話だった。職に就くために色んな人に便宜を図ってもらったのに、申し訳ない、でも職場まで片道2時間で、子供二人(一人は乳児)の育児は無理、と言っていた。彼女が最後まで気にしていたのは自身のキャリアとこれからの人間関係だった。そんなんどうにでもなる。ましてや、私たちの業界は人手不足なんだから。と伝えても、やっぱり本人は気にしているようだった。仕事を辞めると決断し、それを伝えるのが怖いようだった。むしろ、気にしていて偉い。私なんてもっと考えてなかった。しばらく話すと少し安心したようだった。

私は去年の春に転職した。色んな人の思いを裏切って前の大学を出てきてしまった。前職は私のやりたいことができなかった。家族とも離れて暮らしており、一緒に住みたかった。今はもちろんここに来てよかったと思っている。毎日、自分の能力を試されてはいるが、それでも、前の仕事よりは向いていると思う。

この仕事を続けている現役のお母さんたちはたくさんいる。もう既に管理職の人の中にも、子育てをしながら頑張ってきた人がたくさんいる。女は男の3倍頑張らないと、この職に就けないと言われていた。私も頑張らねばならん。

地球の裏側で起きている戦争と私個人

ロシアのウクライナ侵攻についての情報を探ってたら大いに病んだので、もう情報収集はやめにする。部外者たちが命を取るか国を取るか、みたいな議論を続けている。日本は隣国であるのでいつか侵略されるだろう、さて現代の我々だったらどうするか?みたいなテーマで延々と話している。話し終わらないし解決もしない。だって実際は起きていないことなのだ。下の記事によれば民族統一や国土奪還が目的なのだから、彼らは北方領土から南へは来ない。小麦も栽培できないし民族も文化も大きく違う。

ブクマカはみんな知識があるし、ロシアの行く末やウクライナの情報戦にあーだこーだと言えてすごい。素直に感心している。と思う反面、それはどこソースなの?と思うコメントも多い。確かに今の戦争を過去のどこかで起きた戦争に例えることはできる。でも真実も全貌もすべて終わってから何十年もしないと出てこないのだ。我々が知る由もない。9.11に関与した可能性の高いサウジアラビアの王族の情報なんて、20年経ってやっと出てきた。国家機密に触れれるわけでもない立場の呑気なアジア人である私が知れるはずもない。今できることと言えば寄附か、デモへの参加くらいである。

 

私が情報を知りたいのも、こうやって記事を書くのも、"コツコツ地道に情報を集めてきた人"に「いや真実はわからないでしょ」とかマウント取るためなんだ。陰謀論は興味なくても、この「地道にコツコツな人に対して一発逆転のマウント取りたい」感情は同じ構造をしている。私にも根付いている。

思えば何もやってこなかったので、今こんな風に落ちぶれている。自分の今興味あることを掘り下げてコツコツ進めるべきなんだ。まだ若いんだ。今は一番若いんだからやるべきだ。

それでも私はサボってしまうので、いつも怒られたいと思っている。自分で自分を律せる人は立派だ。親からの躾の影響や精神的な甘えから、長いモラトリアムを過ごしてしまった私は、30代になってもまだ子供同然の振る舞いをしてしまう。怒りに任せて私を操作しようとする人の気持ちがわかりたかったが、それももう解が出てしまった。理不尽さを受け流す図太さも身に着けた。後は私が自分を操作するだけ。

自尊心を回復するには、まずできない自分を認めればいい。その"できなさ"をベースにして、好きなことを突き詰めていけばいい。最初に頑張りぬいて努力を重ねてしまうと、ベースがわからない。努力できている状態がベースでなかった場合、それを維持しようと疲弊する。私は自尊心を持ちながらマイペースに生きるのが目下の目標。図太くなって、時にはサボりにサボって、好きなことに全力投球する。それでいいや、と思っている。

 

私は私が変わってしまうことに恐怖を覚えている。変化を受け入れるために、過去の自分と現在の自分をつなぐストーリーが必要な場面がある。本当はストーリーなんて置きたくない。自分が変わりたいときに変わればいい。周囲や自分を納得させるためのストーリーなんて必要ないと言いたい。もうちょっとフットワーク軽くなりたい。

再開

書きたいことをここに書こうと決めてから何日も経った。この日記やブクマが誰かに「(名前)が書いている」と特定される可能性はある。だが、魅力のないオンライン活動者はほぼ匿名と言っていい。私個人が好きなように表現する場所が必要。

 

 

依存先がなくなった後の絶望

 休日は何も用事がないと、ほぼベッドで暮らす。増田とかはてブも見るけど、もう苦しくて苦しくて。気づいたら夜だし、何もしたくない。こんな日が続く。まるで地獄。

 無理にでも買い物に行って、気づく。「は!真面目に生きてるからダメなのでは?」最近この考えが抜けていた。毎日楽しんで生きるのが目標なのに、なんつーことだ!

 人と暮らしている時や、何か仕事があるときは充実しているのに、なくなった途端、抜け殻みたいな生活になってしまう。自分の意思に従って遊びまくるのが一番!

(これが躁転でありませんように)

選挙について

 参議院選が終わったけれど,相変わらず政治に疎いので,今回も30年生きてきた勘と縁で投票した。そろそろ勉強しなければと思う。遅まきながらようやく社会人の生活にも慣れてきたので,社会参加をせねば。

 近々,学会の支部長選挙がある。こういうのには運営している側の思惑があり,候補に挙がっている先生方のうち,この人に入れてくれ,と言われたりする。これがロビー活動。

 Twitter界隈では「恋人が選挙に行かない」と嘆いたツイートも散見されたが,どうしたって他人の意思は変えられないので,憂うだけ無駄とも思う。育ってきた環境で選挙の捉え方が違う。友人と選挙の話をしたが,「20歳の時に行ったきりだから,今回は30歳の記念に行く」と言っていた。また,ある友人は私含め大勢の前で「○○(党名)に投票した」と言う。義実家でも「○○(党名)に入れるなんて,どうのこうの」という話をよく聞いた。私が育った家では,選挙については「何日に選挙がありますね」程度で,特定の政党を批判するとか,選挙の投票先に関する話は一切しなかった。普段の会話や,見ているテレビ番組や,交友関係で少し見当がつく部分もあったが,投票に関しては,我々子供も,両親も,お互いにいち個人として尊重されていたように思う。

 投票に関して何も言わない代わりに,投票所には小さいころから連れて行ってもらった。成人してからは一緒に投票所に行くこともあった。内容については話さないが,家族にとって選挙は生活の一部だ。私はそんな家で育ってよかったと思っている。政治について勉強すべきことはまだ多いが,それでも個人の成長とその時々の考え方に合わせて,投票先を自分で決めること,を許されてきたからだ。

 私もそろそろ公約や経歴だけではなく,もっとマクロに政治をみて,そこから投票先を考えるようにしようと思う。

 

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 池田晶子,という哲学者の思想を頼りに生きている。約10年前に,家にあった『14歳からの哲学』という本を読んだ。以来,何か考えが行き詰るたびに,この本に帰ってくる。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

  「私」を考えるとき,「考える」とはなにか,「善と悪」とはなにかを考えるとき,いつも考えてから「池田晶子は何と言っていたか」と本を開く。その時間が,このうえなく,たのしい。

辛くて動けない休日

 何か約束があれば動けるんだけど,家の中でしたいことがほとんどない。ボードゲームをするとか,本を読むとか,したいことはあるのだけど,私は「自分の部屋」とか「自分の家」という空間では,ほとんど動けなくなる。

 家の中にいるのが嫌いなのではない。好きなのだが,自分のシェルターになってしまうと,ほとんど寝てしまう。テレビをつけたり,うるさくなって消したりして,本を読みたいけど集中できずに何度もネットサーフィンをしたりする。ネットサーフィンをしていたかと思うと,同じサイトを見すぎて頭が痛くなったりする。スマホのゲームは嫌いなので一切しない。情報を得る事,考える事が目的なのだが,自分の知らない情報が多すぎると,頭が混乱して情報の吸収をやめる。

 この土曜日は,午前中に十分寝た後,夜まで掃除をし家具の配置を変えたり整理したりして過ごした。この日はとても有意義だったが,日曜日は何もすることがなくなり,選挙に行った後はほとんど寝て過ごした。食事は自分で作りたかったので,間食のためのケーキを焼いたり,料理を作ったりしたが,それでも数時間は頭の痛くなる時間を過ごした。

 平日になると,助かった!とさえ思う。平日は休日が来るのが待ち遠しいが,休日は休日でシェルターから出たくなるのだ。たぶん,シェルターにこもる時間は半日でいい。調整をせねばと思う。