アカデミアの隅っこから

日常/グルメ/ニュース/読書/旅/猫/育児

地球の裏側で起きている戦争と私個人

ロシアのウクライナ侵攻についての情報を探ってたら大いに病んだので、もう情報収集はやめにする。部外者たちが命を取るか国を取るか、みたいな議論を続けている。日本は隣国であるのでいつか侵略されるだろう、さて現代の我々だったらどうするか?みたいなテーマで延々と話している。話し終わらないし解決もしない。だって実際は起きていないことなのだ。下の記事によれば民族統一や国土奪還が目的なのだから、彼らは北方領土から南へは来ない。小麦も栽培できないし民族も文化も大きく違う。

ブクマカはみんな知識があるし、ロシアの行く末やウクライナの情報戦にあーだこーだと言えてすごい。素直に感心している。と思う反面、それはどこソースなの?と思うコメントも多い。確かに今の戦争を過去のどこかで起きた戦争に例えることはできる。でも真実も全貌もすべて終わってから何十年もしないと出てこないのだ。我々が知る由もない。9.11に関与した可能性の高いサウジアラビアの王族の情報なんて、20年経ってやっと出てきた。国家機密に触れれるわけでもない立場の呑気なアジア人である私が知れるはずもない。今できることと言えば寄附か、デモへの参加くらいである。

 

私が情報を知りたいのも、こうやって記事を書くのも、"コツコツ地道に情報を集めてきた人"に「いや真実はわからないでしょ」とかマウント取るためなんだ。陰謀論は興味なくても、この「地道にコツコツな人に対して一発逆転のマウント取りたい」感情は同じ構造をしている。私にも根付いている。

思えば何もやってこなかったので、今こんな風に落ちぶれている。自分の今興味あることを掘り下げてコツコツ進めるべきなんだ。まだ若いんだ。今は一番若いんだからやるべきだ。

それでも私はサボってしまうので、いつも怒られたいと思っている。自分で自分を律せる人は立派だ。親からの躾の影響や精神的な甘えから、長いモラトリアムを過ごしてしまった私は、30代になってもまだ子供同然の振る舞いをしてしまう。怒りに任せて私を操作しようとする人の気持ちがわかりたかったが、それももう解が出てしまった。理不尽さを受け流す図太さも身に着けた。後は私が自分を操作するだけ。

自尊心を回復するには、まずできない自分を認めればいい。その"できなさ"をベースにして、好きなことを突き詰めていけばいい。最初に頑張りぬいて努力を重ねてしまうと、ベースがわからない。努力できている状態がベースでなかった場合、それを維持しようと疲弊する。私は自尊心を持ちながらマイペースに生きるのが目下の目標。図太くなって、時にはサボりにサボって、好きなことに全力投球する。それでいいや、と思っている。

 

私は私が変わってしまうことに恐怖を覚えている。変化を受け入れるために、過去の自分と現在の自分をつなぐストーリーが必要な場面がある。本当はストーリーなんて置きたくない。自分が変わりたいときに変わればいい。周囲や自分を納得させるためのストーリーなんて必要ないと言いたい。もうちょっとフットワーク軽くなりたい。