アカデミアの隅っこから

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妊娠初期に考えた、母体の変化と我が子の出生について

新年度になって5か月も経過してしまった。もう半分が終わろうとしていて、今年度の目標達成は難しいか…?みたいな気分になっている。

 

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6月に妊娠が発覚して、6月末からつわりが始まった。7月と8月は「〆切があることで動けている」状態に陥った。頭を使えば吐きそうになるし、めまいがして力仕事や立つ仕事は長時間できない。食事はすべて美味しそうに感じられない。食べるものも限られている。離れよう離れようと書いていたSNSやニュースサイトを見ているしかストレス発散方法がなく、平日はほぼ仕事か家事(週に3回の洗濯と掃除だけ)、後はゴロゴロするか寝ていた。

夫が無理のない範囲で料理を担当してくれているので、めちゃくちゃ助かった。元々、料理関係は夫、それ以外は私が中心となって家事をしているのだけど、この分担が妊娠初期には大正解だった。早く帰って来た時は私も料理をしていたのだが、ここ最近は「ご飯だけ炊いとくね」「材料だけ切るね」「今日はホットクックにするね」とかに留めている。調理中に匂いを嗅がずに済むので、ノーストレス。

もちろんゴミとか猫の糞やトイレシートの処理、その他掃除関係で吐きそうにはなっていたが、鼻をつまんでいれば一瞬で終わるし、料理ほど長時間でないので対応できている。

ようやく8月後半になり、ほぼ終わり?のような気がしている。終わったと思ったら戻ってくるので(何度もあった)、まだ予断を許さない。

 

重度の妊娠悪阻の話を聞いて、「自分は入院とかするほどでないし、まだ軽い方なんだな」と知る。

m-pon-kan.blog.jp

もちろん、全くつわりのない人を除けば、みんなしんどい!!けど毎日20~30回は吐く、悪阻が16週超えても続く、はもう人体改造の域超えてるな??

職場で報告してから、こういう話をちらほら聞く。流産・死産の話も、体外受精含めた妊活の話も、最近はよくあることとして聞くようになった。妊娠・出産は誰もができることじゃないし、健康優良児が安産で生まれて、母体も健康!という状態はまずもってラッキーなことなんだな、と実感する。

妊娠する前は、少子化が~とか子育ての補助金が~とか、はたまた反出生主義が~とか、社会問題として「子を持つか?持たないか?」議論を読んだり考えたりしていた。でも、実際に子が腹にできると「あ、政府も社会も関係ねえな」と、自分の子は自分の子として可愛くて、社会とは切り離して考えるようになった。政府に要請されて産むものでも、社会に強要されて(るように感じて)産むものでもないな。

妊娠して、少しだが体や顔もエコーで見て、「この子が今後社会的にどうであれ、その子として可愛い」が既に芽生えているので、親ってそうあるのだろうと思う。反出生主義の考え方に「一理あるか?」と思うこともあったが、その子の可能性を奪うことはできないし、恐れ多いし、我々の子だから(不幸になる、大成できない、生きづらい)という決めつけはよくない。

 

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ここ数日はKindle積読していた小説を読み漁っている。簡単で短い小説からリハビリし始めているが、まあiPhoneで読むと寝転がっても読めるので読みやすいこと。既に週末に3冊も読めたので、今週もはてなブックマークTwitterもお休みして、少しずつ読んでいる。久々に楽しい。