アカデミアの隅っこから

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220924-30

20220924

 引っ越し後、2日目の夜もあまり寝付きがよくなかった。7時半に起きる。資源ごみの日なのでマンション下に出しに出る。旧宅の資源ごみも放ってあったので、それも回収しに外へ。

 三連休は暑くなると聞いていたが雨が降っている。旧宅は徒歩数分で到着する場所にある。家財の無くなった旧宅からは、初めて入居した時に嗅いだ独特の匂いがした。蛇口につけるタイプの浄水器と包丁、資源ごみを回収し、帰宅。

 浄水器を付け替える。Oリングから黒い墨汁状のものが染み出している。洗剤で洗うとマシになったが、これはOリングの寿命っぽい。Amazonで見るに2018年の購入品なので、限界かも。定期的にチェックしなければ。

 猫をブラシする。引っ越しの荷出し時、猫の毛が部屋の隅々から出てきて地獄を見た。長毛の猫は毎日ブラシしたいところ。

 朝ご飯はトーストと果物。ヨーグルト、デカフェのコーヒー。

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長野のサンクゼールで買ってきたいちごジャムを塗る。サンクゼールや久世福は仙台にもあるし、長野じゃなくても買えるんだろうけども。

 

20220927

 誕生日だった。そんな一年の中でも特別な日なのに、一日中めちゃくちゃに眠かった。夫は出張で大阪へ、猫2匹と過ごす誕生日になった。夫はせめて食いっぱぐれないように、と前日に食事を作ってくれていた。優しい。私は「やる」と言っていた引っ越し後の家の片付けすらできていないのに、なぜこうも優しいんだ。こんなにサボっているといつか捨てられるんじゃないかと思う。猫2匹も遊んでもらえずストレスだろうな、でもごめん今日は眠い、と心の中で謝って、夕飯を食べてから朝まで眠りこけた。

 

20220928

 朝イチで活動するぞと思っていたのに出勤ギリギリまで寝る。毎日なぜこうも眠くなるんだ?妊婦だからか?

 今日はグループの上司も先輩も出張でいないが、全体ミーティングはやるとのことで、私が仕切り役になってしまった。フレックスなのをいいことに出勤時間が遅いので、職場についてすぐに「今日ミーティングしますがいいですか?」と聞きに回る。みなさん優しくて、「いいですよ~」と言ってもらえる。仕切り役は苦手だが、淡々とこなす。緊張しない場所での仕切り役はリラックスできて、自分の声を聞く余裕もあるので問題ない。

 今日はグループ全体のミーティングだけではなく、「代理で発表しといて」と言われた別プロジェクトのミーティングに出た。発表ド下手な私がなぜ、と思ったのだが上司も先輩もいないので仕方ない。原稿を作ってなんとか話した。緊張する場では、時間とか声質が気になるし、噛むんじゃないか、とか、わけわからないことをしゃべってしまったらどうしよう、とか、そういう不安に押しつぶされそうになる。終わって少し反省して、でも質問には答えられたしよかったな、という感想が残った。実践は大事。

 

20220929

 データ整理が嫌すぎて全然業務が進まなかった。それでもなんとか少しずつ進める。業務を早く進めることができずにおり、もどかしい。

 最近のTwitterが2000年代の2ちゃんねる並みに酷いような気がしてびっくりしている。便所の落書きとか、匿名故のひどい投稿と言われてきたが、Twitterと比較しても匿名性とかアカウントの有無は関係なかった。ただ対面じゃないところで人間の汚いところが見えるだけ。

 

20220930

 午前休を取得し、妊婦健診に行く。20週なので分娩病院で健診。とくに異常なし。発達に関してもエコーで見る限り、問題なしとのこと。今週からますます動くようになったので、元気なんだろうなとは思っている。34歳初産なのに、ここまで元気に育ってくれてありがてえ。病院の方針として性別は教えてくれないが、先生たちはおしりのエコーは見せてくれる。優しい。自己判断するに、女の子かなーと思っている。

 女の子の親は大変だとかよく聞くけど、母も、そのまた母(祖母)も、長子が女の子だった。うちの家系も夫の家系も数で言えば女が多いので、確率としては高い方なんだと思う。でも自分の性格上、女の子の親が私にできるのか???と疑問がわいている。

 仙台市セミオープンシステムという制度があり、婦人科のクリニックと分娩病院が連携を取って妊婦健診を分担している。次に分娩病院に来るときは1月初週らしい。その3週間後には正期産に入る。遅いようでいて早い。

 SNSはやめて、家事をしたりKindleで本を読んだりしている。生産的だ。はてブもできるだけやめて、読者になったブログをまわって記事を読むことにしている。その人の家に訪問するような感じ。SNSはたくさんの人がいるヴァーチャルな空間だが、ブログはヴァーチャル個室のような感じである。本と同じ。都会のざわざわしたところで色んな人の価値観に触れることも楽しいが、今は田舎暮らしをして、個人の家に遊びに行きたい。体力がなくなってきている(必要としている体力上限が上がった)ので余計にそう感じるのだろう。ゆるゆるとがんばる。

 

雑感

  • 統一教会系の話が何も面白くない。昔、宗教の必要性とか、新興宗教の構造について考えたり情報を集めた時期があった。悪質な宗教になぜハマるか、私自身に宗教が必要なのか、ある程度答えが出て、それ以降は考えなくなった。戦後に成立した新興宗教は、その起源や経過が面白いのだが、一方で北九州監禁殺人事件や久留米看護師連続保険金殺人事件のような、誰か一人に支配された集団が持つ特有の薄暗い側面も持っているので、宗教に発展するか、無法者の集団になるかは紙一重だと思っている。支配―被支配の関係ではなく、仏教やキリスト教の勉強会が始まりだったとしても、活動費以上の布施を集めてしまうと営利団体の側面が出てくる。営利目的に活動を続けると結局支配層が潤うだけで、宗教のメリットである「(思想としての)生活基盤になる」とか「(国・地域の)文化になる」点はほぼなくなる。よって真面目にその宗教ベースで勉強したり考えたいだけなら、学術界にいればいいだけだな、と思っている。基本的に私の考えは仏教ベースだし、神道キリスト教は別の世界と思っているので、帰依する予定も全くないが。
  • 職場に今年度から入ってきた年上のスタッフさんがいる。職階も私の方が上で、異性で(気を遣う)、全く違う分野から来た人である。先日このnote(職場の発達障害者に潰される|あんきも /既に消されてた)を見て、似てるなあと思ってしまった。もちろんnoteの彼よりもずっと仕事はできる。言われたことは、一部忘れながらも頑張って取り組んでいる。3回くらい言わないと聞いてくれない時もあるが、「前にも言いましたよね?」みたいなニュアンスだと「今がそのタイミングなのかわからなかった」と堂々と言う。わからないことは放っておく。今のところ大事故につながってないのが幸い。みんな1年目はそんなもの、と思って見ている。1年目にできてほしいことは、「上司に躊躇せず報連相する」「職場の同僚に助けを求められる」「自主性の芽を生やす」だなと思っている。うちのスタッフさんは、noteの彼ほど開き直りが酷い人ではないので、不安だと思ったら報連相してくれる。周囲の人とはまだ仲良くないし、自主性の芽は生えるかわからない。仲良くなるのも生やすのも、本人の意志次第であって、義務でもないし、上司の役目でも何でもない(補助はする)。自主性の芽は生えるとありがたい、くらいのイメージ。周囲の人達がなんとなく好きで、その人達の役に立ちたいと思っていて、それで自分も貢献できる、っていう職場であれば仕事も楽しいんじゃないかと思っている。
  •  今日から妊娠5か月、俗に言う安定期。安定期はあっという間だと聞くけど、8か月までそんなに早いんだろうか。はっきりした胎動はないが、ちょっとした動きを感じるタイミングがあるし、うつぶせ寝は苦しいし足も組めなくなってきた。5か月でかなり腹が出ると聞く。腹は元々出てるし、どうなんだろう。肥満妊婦で検索しても写真は出ないし、体重増加率の制限の話とか病気の話しか出ない。仕事がやっとできるタイミングに来たので、後期まで頑張ろう。学会シーズンと重なってよかった。

パーソナリティに依存した信頼性の担保

身につまされる話。

kyokotominaga.com

 

ただ、そこまで瞬時に大勢の人からさまざまな角度での清廉潔白性、首尾一貫性を要求されることに疲れてしまったというのは、隠しようもない事実です。そういう清廉潔白性や首尾一貫性を保持できればできるほど「信頼できる人」「信頼できる番組」として見なされていくようなところもありますが、「この人が言っているから信頼できる」「この人が言っているなら信頼できない」という「言う人」ありきの認知が強化される空間にいることは、あまり個人的に歓迎できない事態でした。実際、多くの人は私の本や論文というよりは、もっぱら私のパーソナリティーに関心を持っていたように思いますし、事実そうした応援のメッセージも多く頂きました。

 

私たちは、専門でない分野に関して「専門家が言っていたので正しい」とかで判断しがちである。他にも、学歴のあるあの人が言ったから信憑性に足る、とか、考え方の近い人が言っていたから自分もそうだろう、とか、思いがちである。

基礎がないから、時々思考することを放棄し、誰かの思考に依存する。これはnext49先生の”精神的な背骨”の話に似ている。

 

next49.hatenadiary.jp

 

妊娠初期に考えた、母体の変化と我が子の出生について

新年度になって5か月も経過してしまった。もう半分が終わろうとしていて、今年度の目標達成は難しいか…?みたいな気分になっている。

 

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6月に妊娠が発覚して、6月末からつわりが始まった。7月と8月は「〆切があることで動けている」状態に陥った。頭を使えば吐きそうになるし、めまいがして力仕事や立つ仕事は長時間できない。食事はすべて美味しそうに感じられない。食べるものも限られている。離れよう離れようと書いていたSNSやニュースサイトを見ているしかストレス発散方法がなく、平日はほぼ仕事か家事(週に3回の洗濯と掃除だけ)、後はゴロゴロするか寝ていた。

夫が無理のない範囲で料理を担当してくれているので、めちゃくちゃ助かった。元々、料理関係は夫、それ以外は私が中心となって家事をしているのだけど、この分担が妊娠初期には大正解だった。早く帰って来た時は私も料理をしていたのだが、ここ最近は「ご飯だけ炊いとくね」「材料だけ切るね」「今日はホットクックにするね」とかに留めている。調理中に匂いを嗅がずに済むので、ノーストレス。

もちろんゴミとか猫の糞やトイレシートの処理、その他掃除関係で吐きそうにはなっていたが、鼻をつまんでいれば一瞬で終わるし、料理ほど長時間でないので対応できている。

ようやく8月後半になり、ほぼ終わり?のような気がしている。終わったと思ったら戻ってくるので(何度もあった)、まだ予断を許さない。

 

重度の妊娠悪阻の話を聞いて、「自分は入院とかするほどでないし、まだ軽い方なんだな」と知る。

m-pon-kan.blog.jp

もちろん、全くつわりのない人を除けば、みんなしんどい!!けど毎日20~30回は吐く、悪阻が16週超えても続く、はもう人体改造の域超えてるな??

職場で報告してから、こういう話をちらほら聞く。流産・死産の話も、体外受精含めた妊活の話も、最近はよくあることとして聞くようになった。妊娠・出産は誰もができることじゃないし、健康優良児が安産で生まれて、母体も健康!という状態はまずもってラッキーなことなんだな、と実感する。

妊娠する前は、少子化が~とか子育ての補助金が~とか、はたまた反出生主義が~とか、社会問題として「子を持つか?持たないか?」議論を読んだり考えたりしていた。でも、実際に子が腹にできると「あ、政府も社会も関係ねえな」と、自分の子は自分の子として可愛くて、社会とは切り離して考えるようになった。政府に要請されて産むものでも、社会に強要されて(るように感じて)産むものでもないな。

妊娠して、少しだが体や顔もエコーで見て、「この子が今後社会的にどうであれ、その子として可愛い」が既に芽生えているので、親ってそうあるのだろうと思う。反出生主義の考え方に「一理あるか?」と思うこともあったが、その子の可能性を奪うことはできないし、恐れ多いし、我々の子だから(不幸になる、大成できない、生きづらい)という決めつけはよくない。

 

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ここ数日はKindle積読していた小説を読み漁っている。簡単で短い小説からリハビリし始めているが、まあiPhoneで読むと寝転がっても読めるので読みやすいこと。既に週末に3冊も読めたので、今週もはてなブックマークTwitterもお休みして、少しずつ読んでいる。久々に楽しい。

最近、めちゃくちゃ腑抜けである。何のやる気も起きない。この理由を探しているが見つからないので対処ができないのである。

昔々、前夫に言われた「本は通勤時間に読むもの」との言葉が刺さっている。今の夫も家で本はあまり読まない。気にしてしまって私は本を読めない。家で何をしていいかわからないのでスマホを見たり家事をしたりしている。夫に呼ばれればすぐに対応できるように。一種の強迫である。

中学生の間はずっと勉強が好きだった。高校生の間はメンタルに不調をきたしていたが、

自分のままでいてよい、とは思えない。祖母も母も、ずっと家事をしていた。血なのかもしれない。夫が起きる前の時間しか私の自由な時間がないように感じる。ということで土日の午前中しか私が自由にできる時間はない。もちろん、夫が一人で外出する用事があれば別であるが。

というわけで平日も土日も勉強ができない。平日の日中も仕事と関係ない勉強はできない。あれ?研究職、いつ勉強してるの?これも業務のうちですよね?業務に関係する勉強は許してもらうことにする。

今私の色々を回復するためには勉強が必要なのである。それも業務に関係のない仕事が必要である。「あの人めちゃくちゃ勉強家ですね」と言われるほどに勉強するしか多分道がない。夫についてはもういいか。気にせず自分を晒せばいいのだ。今日から本を読んだり勉強したりしよう。

仕事に情熱は必要ないかもしれないが、なければないで寂しい。

 

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勉強にも計画が必要だ。勉強の計画、仕事の計画を立てる。とにかく立てるのだ。

子供がいること、女性としての人生を楽しむこと

コナシ夫婦の女性側、旦那にこんなん思われてたら可哀想すぎるんだが… https://t.co/bWwLu0lKUm— Kansaimama (@siestainHawaii) 2022年3月9日

 

岸先生の本に書いてあった、子供を望んでいたができなかったこと、不妊の原因のこと、その際にあったosai先生とのやり取り、を思い出した。この人もそれを知っていたら、違った解釈をしただろう。子供を授けるのは誰か?

 

今日は子供に出会うことが多い。遅ればせながら、推し(芸能界は引退済み)が結婚&出産していたことを知った。

news.yahoo.co.jp

いやー本当に嬉しい。Berryzがどんどんお母さんになっていく。

 

適齢期も過ぎて周りは出産ラッシュ、それに引き換え、2度目の結婚をして、4月から任期付きの職員を脱し、本腰入れて仕事をする私。子供も欲しいけど授かりものだし、我が家には猫がいるからまあ天に任せるでいいか…と思っている。

 

吉川ちえ・ちか、も同じ年齢なのだが、この溢れんばかりの美への追及と女子会のゴージャスさ、女性であることを楽しんでいる彼女らを見て、構わずに女性として楽しい人生がよかったなと思う。

 

こんな男社会に足突っ込まなくてもよかった。帰宅したら自分の時間はほぼ無い。仕事中に息抜きはしているが、もっと勉強したいし、もっとゴリゴリと研究を進めたいのに、「なんかできない」が勝ってしまっている。まあ明日を乗り切れば、という気持ちだけで生きている。

フィクションと現実と

モーリー・ロバートソンの”日本のお笑い”についてのツイート

のツリーを読んだ。そう言えばコメディってリアルな社会や個人に対する笑いで、日本のお笑いはフィクションの上に成り立っている気がする。お笑いも好きだし芸人の出ているテレビやラジオもよく聞くが、改めてお笑いって何だろうね。

最近、「リアルな生活を大事にできない」と感じることが多い。もちろん家事もするし仕事もしているが、日々フィクションに生きているように感じている。TVやSNSを開けば"今、周囲で起きていること"よりもフィクションの割合が大きい。他の人は違うのだろうか。SNSやニュースサイトにいるどこの誰かわからない人たち、誰か知らないが面白いツイートをする人。

 

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ということでインターネットからはやはり遠ざかるしかない。ここは敢えて書き続ける。一人孤独に生活している宇宙船の中から、誰かに届くと信じて出す信号のようなものかもしれない。